2020年2月25日火曜日

2020/02/25 2016年からの文章など


画像に含まれている可能性があるもの:花、植物

「黄色の薔薇とゴギョウ」と、「一輪だけ咲いた冬のビオラ」。







写真の説明はありません。

2013年は、3月号より「詩と思想」投稿欄を担当していました。
『★さらに深い美を、「合唱」の扉を。
  言葉は、「物」そのものではありませんが、感情が対象の核心に接触するとき、言葉は物の輪郭を現象させて、物質化します。美は成熟してさらに深い、醜という美に変容するのです。詩は、その変容を鎮めて、再び文字に形を与えることです。言葉という物質が「合唱」するのです。「合唱だ、無力と欠乏とを鎮めるために(ランボー『地獄の季節』小林秀雄訳より引用) 」さらに深い美を、「合唱」の扉を開けていきましょう。』




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手作りスイーツを製造する。
ベニハルカ。




下ごしらえは、サツマイモの皮を剥き、5ミリ程度の厚さの輪切りにする。
林檎は皮を剥き、櫛形に切り、塩水にさらす。
サツマイモを先に5分ほど煮てから、林檎を入れて、沸騰してきたら砂糖を加えて、檸檬水で仕上げる。


ベニハルカと林檎のペースト。
林檎の歯触りは残っています。
果物の香りがする。




2019年12月に作ったルバーブコンフュチュール。

台風で収穫が激減した。








林檎グラッセ、ルバーブ、夏蜜柑のマーマレード、ベニハルカと林檎のペースト。
ガラスの器に盛って、アフリカコーヒーで、休憩します。





一番下に、サツマイモのペースト、林檎のグラッセ、夏蜜柑のマーマレード
を盛り、上にルバーブのコンフィチュールを乗せる。

アフリカ珈琲ウンガコンロで三時のお八つ。






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20160225

自己と自我。自我と非我。そして(エス)。|小島きみ子
なぜ、こうした自己と自我。自我と非我。(エス)にこだわるかというと、文章の文体は人称によって文体が決定するからです。
①自己と自我の関係と、②自我と非我の関係を2016年の今頃から考え始めて、二冊の良い本に巡りあえた。①は、FBF,の今野哲男さんの紹介による『臨床哲学の知』。②は、高橋巌著『シュタイナー哲学入門』(角川選書 213)ここでは、①について簡単に述べます。芸術創造の現場では、外側で現象させている「私」というものと「私」を感じている自己と、「自己」を見つめ返す「自我」を統御していくのが「エス」というものではないか、と私は思う。精神の奥深く、実装と深層の間、「間=仮面」にも関わってくるなと思う。163Pにたいへん重要なことが書かれている。「エス」のことだ。
日本語で理解する、感じとる方法は、中国からきた漢字の自己、自我、非我という言葉もあり、それもまた日本語への誤訳もあり、この短い文章の中でそれらを述べることは困難です。ひとまず、木村敏著・聞き手=今野哲男『臨床哲学の知』の感想として、「エス」は、《われわれ一人ひとりが生きている人生、あるいは個々の生命といってもいいのですけれど、それがエスによって「生きられている」》163P。「第三章 生きる主体」より。私が、思うというのは、そう感じているということで、感覚がするどく文字の上をなぞって、その場所に到達した。
 そして、アマゾンで購入したユーズド本『臨床哲学の知』が四月に復刻されるそうです。嬉しいです。よかったです。



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写真の説明はありません。






『ヘーゲルからハイデガーへ レーヴィット 現象学的存在論』(作品社)レーヴィット/村岡 晋一/瀬嶋 貞徳/平田 裕之

ヘーゲルによる客観的理性の存在論、マルクスの方法的逆転、キルケゴールの実存、ニーチェの「生」の概念を経てフッサール現象学の影響下に立ち上がるハイデガーの「現存在分析」への道筋。近代哲学の変遷を丹念に検証しつつギリシア的自然の回復を指向する。

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