2020年2月25日火曜日

(Cioranあなたの絶望は素敵だ!)

写真の説明はありません。








『虚の筏』10号作品

Cioranあなたの絶望は素敵だ!)小島きみ子



すべては一つの空(くう)、一つの識(しき)への接近の方法を探るための山荘行きだった。
黄色の昆虫になること。それは盲目の夏の日に始まった計画だった。ルビー色の日の光が私のからだの上に、湖の気息をつれてやって来る。薔薇の葉陰では、(人類は存在しなかった)などと、神の御言葉を伝えにきた三頭の黄蝶の声がする。あの細い昆虫の脚が、バレリーナのように、花びらの上に止まる。去年の夏のあなたの指の上に、止まるようにそっと止まる。夕べからのふたつの息がひとつの息に生まれ変わろうとする。聞き取れないような。繊細な指が。息と息が。ふたりの愛について語りあう。灰色の鳥蔭。黄蝶の乱舞。黒薔薇の襞と棘。襞と棘。あなたの指によってなぞられた羊皮紙の頁を捲る。草花の蜜は冷たい唇に吸われて、毎朝毎朝あなたに摘まれた。高原の白樺の樹液は、昼の臙脂色のダリアの凶熱に飲みほされ、冷えた夜の白ユリの寝間で儚い夢は見つくされた、その夜のメタルの月明かりの一瞬に、私と月と星と森のシダの魂たちが暗鬱な翳を、白いシーツの上に樹液草液体液の文様を焼き付け、夜が明けて霧がやってくる。黄色の昆虫になるために。
宵闇の森の黄ツリフネソウ。この道を歩いて行けば誰に出会えるのか。たとえばヨハン・ルートヴィヒ・バッハは、一七三一年五月一日に死んだというその年の羊皮紙に書かれている公文書。次元を超えて私の元へやってきた(もの)。やがて、集落への坂道は水色になり、零れる言葉と映像の水分が指輪を外した薬指に溢れる。現実を強化するのだ。(生きている、そのようにやさしく、ことを終え)黄色の昆虫になっていくのだ。あなたと私はこの時空でミルフィーユの精密さで絡み合い、熱狂の宵闇病を患う。ペルセウスは、大神ゼウスとアルゴスの王の娘ダナエとの間に生まれた。ペルセウス座が、(白銀の葡萄の房)と言ったのはあなたでした。ほら。秋のスーパームーンが上がってきましたよ。あらゆるグロテスクと不条理の熱狂のうえに、黄色の昆虫がもうじきやってくる。
Cioranあなたの絶望は素敵だ!)山荘のベルを鳴らしたものに災いあれ!晩秋の黄昏どきは人を絶望させると、ペチュニアの蜜を吸うあなた。月の欠片が白く東の丘に上がり、嘆きの川「アケロン川」について語りあっていました。カローンが死者の魂を冥界ハーデースへと渡す、地下世界の川ステュクスの支流は、この山荘から見下ろせる清流チューマガワの語源にも及び有意義な時間でした。夏はヨーロッパでは「豊穣の夏」ゆえに夏を惜しむ。And after many a summer dies the swan.そして(あまたの夏ののち)白鳥は息絶える。という詩句は、ハクスベリーにあります。(あまたの夏ののち)内蔵の層は完成される。ヒポクラテスは、人体の内部には「血液」「粘液」「黄胆汁」「黒胆汁」が流れており、そのバランスによって健康が保たれていると説いたのでした。黄色の昆虫になるという、計画が完成するのです。
神話伝説には、数万年を遡るであろうものもあり、もしくはその語り伝えのなかで、ホモサピエンスの神経生理的構造が反映されていくものもあるのです。それらを分別するのは、いまだ調査者の直観であるとは!調査者の直観とは(曰く言い難い、熏習ですよ)熏習とは?(衆生の日常の身口による言動が記憶する媒体「アラヤ識」に作用し、それが更に深化するアラヤ識からの「直観」です)アラヤ識での説明と表裏一体なのがカルロ・ギンズブルクの徴候的認知だと思うのですが、彼はその典型として医学的症候を挙げます。医学ほど「勘」を喪っている世界はないとも思われるのです。
山荘では冬に備えてたくさんの薪を購入しました。桜の木の下でお別れしてから、この日がくるのを待っていました。キッズクラブは当時のままにあります。芝生は、もう枯れてしまいましたが、それでもあなたが知っている草花の前では、とても饒舌になるでしょう。湖にやってきた水鳥。木の中で押しつぶされて眠るシマリスの沈黙。エルンストのあの作品、「森(月光の中のモミの木)」の光景が過ぎります。神話の森で再会しましょう。黄色い昆虫の羽が生えるころです。デリダは風景を歯牙にもかけなかった。とうとうやってきました。(僕らの直感)黄色の昆虫が!(Cioran!あなたの絶望は素敵だ!)山荘のベルを鳴らしたものに災いあれ!晩秋の黄昏どきは人を絶望させると、ペチュニアの蜜を吸うあなた。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。